長崎県五島列島で3番目に大きな久賀島。
ここには、重要文化的景観に指定された豊かな自然や生活文化、いま注目を集めているキリスト教関連遺産などさまざまな所見があります。
しかし、そのほかにも歴史ある名所旧跡、さらには新しいスポット久賀島潜伏キリシタン資料館が誕生しました。
写真は久賀島の遠景と資料館を写したものです。マリア様が温かく迎えてくれます。
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産になっている「久賀島の集落」に2018年12月13日、受難の歴史を伝える「潜伏キリシタン資料館」がオープン。
島には五島列島最古の木造教会の旧五輪教会堂のほか、狭い牢屋に多くのキリシタンが投獄され、飢えや病気で42人が犠牲になった「牢屋の窄殉教事件」(1868年)の跡地などキリシタン弾圧の過去を示す史跡があります。
館内の展示室には島の信者宅で保管されてきたマリア観音や十字架、ミサの合図に使ったほら貝、慶應4年のキリシタン高札、古伊万里のキリシタン皿などのほか、村田佳代子画伯の絵踏み、吉田圭一郎氏の麦などの絵画や細石流教会の遺物など約100点が展示されています。
日本キリシタン教会の歴史は、1549(天文18)年のフランシスコ・ザビエルの来日によって始まった。キリシタンとは、キリスト教徒を意味するポルトガル語で、日本の歴史用語として用いるとき、16世紀の天文年間から19世紀の初期までのカトリックとカトリック教徒をいい、今日のカトリックと同じである。
長崎・豊後・ミヤコ地方へと布教活動をひろげて行ったキリシタンは、秀吉の「伴天連追放令」の発布という打撃をうけながらも発展を続け、最盛時には少なくとも30万人を超える信徒を数えた。しかし、1614(慶長14)年の江戸幕府の全国的キリシタン禁令の発布による迫害と弾圧によって、急激に凋落の運命をたどる。数多くの殉教者の血が流され、また多くの人々が信仰を捨てた。
1643(寛永20)年のマンショ小西神父の殉教を最後に、信徒間で働く神父は一人もいなくなる。5人組制度、懸賞訴人の制札、寺請制度、絵踏などの間断ないキリシタン検索制度の実施によって、もう一人もキリシタンは存在しないと考えられるようになった。
ところが、その厳しい禁教制度下に潜伏して、数万のキリシタンが信仰を伝承していたのである。彼らは寺請制度に順応して表面は仏教徒を装い、檀那寺を持ち、家に仏壇を設けながら、キリシタンの地下組織をつくり7代にわたって秘かに信仰を伝えたのであった。
やがて迎えた安政の開国に伴う日本の国際社会への復帰は、世界のカトリック教会から孤立してきた日本の教会にも「キリシタンの復活」の時をもたらした。日仏修好通商条約によって、長崎の大浦外国人居留地に建立されたカトリック教会で、1865(慶応元)年、再渡来した宣教師に出会ったキリシタンたちが、信仰を表明して宗教上の指導を受けるようになったのである。「信徒発見」と呼ぶ、この歴史的出会いを機に、近代カトリック教会の再建、即ち「キリシタンの復活」が成し遂げられたのである。
久賀島は、キリシタン禁制の時代に五島藩の開拓移民政策に従い、潜伏キリシタンが信仰を守るために長崎の外海地区からやってきて集落を形成し、禁教のなかひそかに信仰を守り伝えました。
久賀島潜伏キリシタン資料館
愛称 内上の杜ミュージアム
開館時間 午前9時~午後4時30分
入館料 300円
休館日 年末年始
住 所 長崎県五島市久賀町412-2
電 話 0959-77-2788
(事前連絡をお願いします。)
目 的 多くの人たちのご支援、ご協力を頂いた施設の継続的な維持管理に資するため。
振込先 ゆうちょ銀行
口座番号 01750-7-169816
加入者名 久賀島潜伏キリシタン資料館
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